視座
生命の尊厳とは
天児 民和
1,2
1九州大学
2九州労災病院
pp.7
発行日 1971年1月25日
Published Date 1971/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408904496
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何といつても最近の私に衝撃を与えたのは三島由紀夫の異常な死である.彼はある意味では確かに天才であつたと思うが惜しいことをしたものと思う.生命の尊厳ということをよくわれわれは口にする.たとえば昨年問題になつた心臓移植の場合,生命をどのように考えるかということで心臓移植はできるようになるだろうし,できなくなることもあり得る.最近も移植学会の時にその方面の権威のある諸先生にお目にかかつたが,心臓だけがやかましく問題になつて腎臓の場合はあまり問題にしないのはおかしいと思うし,生命の尊厳というものを今後われわれはどのように考えていつたらよいだろうと迷わざるをえない.
現在方々の病院に脳外傷でいわゆる植物人間になつた患者が何人かいるはずである.そういう人達の生命は,どう考えたらよいだろうか.日本では死後の生活ということを考えている.これは仏教の影響であろうと思われるが非常にウェットな考えかたをする.臓器移植の場合に死体からこれを採取して保存するとしてもわが国ではなかなか容易にその立法化ができない.現在われわれは脳性麻痺に悩まされている.その治療法を開拓する必要があるし,一方Parkinson病に対するL-DOPAの効果をみるにつけても脳性麻痺の治療に絶望を感じるのはまだ早すぎると思うが,このような患者の予防についても考えなければならないし,極端な早生児,未熟児の問題についてもただ生かせばそれでよいと思うような簡単な考えでいる医師があるとするならば大いに疑問を感ずる.
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