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あとがき
吉川 秀樹
pp.784
発行日 2011年8月25日
Published Date 2011/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408102087
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物理学者の寺田寅彦(1878-1935)は,1923年9月1日の関東大震災の直後「天災は忘れた頃に来る」「人間は何度同じ災害に会っても決して利口にならぬものである」と述べています.大震災のみならず,日常の誤診や医療ミスに置き換えても通じる含蓄の深い言葉だと思います.
初期の診断・治療の誤りが直接生命予後に影響を与える骨軟部腫瘍においては,腫瘍の見逃しや不本意な治療例を時に経験し,痛い思いをすることがあります.骨軟部腫瘍は,1例1例の経験の積み重ねが最も大切であり,失敗が起きた時ではなく,起きていない平時から,日々緊張感を持って診療に臨む必要があります.中でも骨肉腫は,整形外科医の日常診療において,見逃しは許されない重要疾患です.骨肉腫の発見の歴史は古く,すでに5000年前のエジプトのミイラから,3例の骨肉腫がX線検査により発見されています.また,ペルーのインカ遺跡のミイラや先史ハワイアンの人骨資料からも骨肉腫が発見されています.特に,骨形成が強い症例では保存が良好で,スピクラ状骨膜反応などが原型に近い状態で残っています.本邦でも,縄文時代の福島県三貫地貝塚や古墳時代の大分県木の上古道古墳から,転移性骨腫瘍を疑う骨がいくつか発掘されています.江戸時代には華岡青洲が自らの症例集に手書きで種々の骨腫瘍を記録していますが,この中にも骨肉腫らしい腫瘍『骨瘤』が記載されています.このような国外,国内の貴重な過去の歴史,遺産を謙虚に研究し,今後の診療や研究に役立てることが現代に生きるわれわれの使命であると思います.
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