胃癌外科におけるリンパ節郭清の始まりとその展開・16
1940~1950年代の展開(2)―系統的リンパ節郭清と日本
高橋 孝
1
Takashi TAKAHASHI
1
1たむら記念病院外科
pp.825-835
発行日 2007年6月20日
Published Date 2007/6/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407101706
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【久留勝,康楽病院,梶谷鐶:新外科治療区分,再発,ミクロの判断】
この項では古典落語の三題噺のように3つの題目を挙げましたが,ここでは系統的リンパ節郭清への序章を述べるつもりです.
久留勝は,塩田外科における胃癌症例の総説をまとめたのち1),1934年5月より1941年4月まで,当時の北豊島郡西巣鴨町大字巣鴨に新設された癌研究会附属康楽病院註1に外科医長(当時)として勤務しました.その7年間の久留の活躍,特に癌に向かう姿勢については,その後半(1939~1941年)助手を勤めた梶谷鐶の文章を借りてすでに紹介したところです(本連載第1回参照).そのなかから系統的リンパ節郭清へとつながるいくつかの文章を再掲しておきます.
“この癌は如何なる性質のものか,また如何なる経路をとって拡がるかなど,確実な病理学的知識が必要なこと,癌の外科には病理との緊密な連携が必要であり,外科医は癌の病理学者でもなければならないことを力説された”・“そして原発臓器の徹底的除去と従来わが国では余り実行されていなかった所属リンパ節の廓清が目の前で展開されていくのである.”2)
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