対談・連載
公衆衛生の軌跡とベクトル(2)—1950年代後半を中心に
橋本 正己
1
,
大谷 藤郎
2
1元埼玉県立衛生短期大学
2厚生省社会保険審査会
pp.700-708
発行日 1987年10月15日
Published Date 1987/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401207553
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結核実態調査と家族計画と
大谷 昭和20年代はなんといっても伝染病と結核がひどかったですね.豊中保健所では赤痢の集団発生とか食中毒の集団発生はどうでしたか.
橋本 戦争直後のすさまじい伝染病流行時の経験は前に申したとおりです.また結核はまだストマイなどが入手できないころですが,一人の患者を治療している間に何十人という新しい患者が発生するということを切実に感じました.これも公衆衛生に転向した動機の一つです.豊中保健所の時代には,赤痢や食中毒の集団発生については余り記憶がありませんが,そのころから家族計画問題がボツボツ出はじめました.
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