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中華人民共和国への訪問から帰国,数日おいて東北,四国へと出張が続き,彼我の風土や生活習慣を肌で感じる機会になった。北京のような大都市近郊では小さい煉瓦作りの家屋が撤去され,高層アパートの建設ラッシュで,日本の郊外にみるような団地に変身しつつあった。大家族同居という風習も少しずつ変化するのであろう。華中の広い平野は黄色い麦畑が地平線まで続いているのに,長江ぞいの山間絶壁の合間でも段々畑に作物が裁培されている様子は日本に似て,可能な土地は殆ど利用されているようにみえた。カナダ,米国に匹敵する日本の26倍の国土面積をもちながら10倍の人口をかかえ,辺境は気候地勢が厳しいことを考えれば人民を飢えさせない努力は大変なものであったろう。早朝の汽車の窓からは薄明の畠で働く農夫の姿がそこかしこに見受けられた。秦の始皇帝が統一国家として中国を築いた2,000年以上の昔から,人種,技術,制度,生活習慣など多くの文化が日本に入り続けてきたことは遺跡や文字をみても実感として湧いてくる。
日本が400年前に鎖国政策に入るまで,中国は共通の祖先をもつ先進文明国として日本の多くの学徒のあこがれの地であったろう。中国が世界最大のGNPを誇った地位から下ったのは近世のことであり,その栄華と威信が著しく失墜したのは阿片戦争と日清戦争以後ときいた。よく,日中の水準には30年の開きがあるといわれる。2,000年の歴史からみれば僅かな差であろう。それでも,日本軍による砲火と占領,日中戦後のソ連依存,自力更生の道,文化大革命を経て,最近の開かれた中国は,多くの学徒を英語圏に送りはじめ,医学生も英米からの交換学生を受け入れて英会話が盛んなように見受けられた。日本人医学生にとって戦後は米国留学が一つの夢とステータスになったように,中国においても若い教授達には米国帰りが多くなっているようである。米国在住の中国人ノーベル賞受賞者が資金を出して,毎年多数の中国の若い学徒を米国に留学させてきたという話もきかされた。何故北京大学出身者が母国ではノーベル賞がとれないかという,日本できくような話もあった。中国は歴史のある偉大な国だという感を深くしたが,帰国後旅をして改めて日本は地方の隅々まで整っているということを感じさせられた。狭い土地で懸命に働き,衛生的にも産業的にもトップの地位に達した日本と日本人をいじらしく,いとほしく感じながら,本心から学びに行きたい国,交流したい隣人と彼の地から思われる永い時代が来るであろうかと考えるのであった。
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