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ものを整理しようとしてしばしば分類が問題となる。人の作り出した物の分類にはあまり骨は折れない。車の種類とか,薬の種とかは数が多くなっても難かしい問題は起こらない。神経学の領域ではしばしば分類が論議の対象になる。分類はものを一つの側面からみた人為的な区分であるから,疾病とか症状という自然現象を対象としたときには当然に難しいcaseが生ずる。日本人の潔癖な性格に由来するのか,我が国では分類というと,ものを引出しに収めるように截然と区分けされないと気が済まない。ものが総べて何れかの引出しに入れられないようでは,そんな分類はおかしいということになる。疾病分類は人を身長別に分けたり,体重によって区分けするような具合にはいかない。人種分類のように身長も,眼の色も,皮膚の色も,話す言葉もというように,同時にいくつもの条件が組合わされる。それでも混血児やpolyglotのようにどれにも分類しにくいcaseが生ずる。どうしても適当な引出しが見つからないと,この分類は駄目な分類であるとされる。尤も,外国製の分類の引出しだと割合によく使われる。日本製でも,外国製でも,分類という事柄は変らないし,着眼点の良し悪しはいずれにもあると思われる。
私は,分類というものは人為的なものであるから,あらゆるcaseがどこかの引出しに収まるべきものとは考えていない。引出しに入らないものが時にはある。引出しAと引出しBとの中間のものが稀にあるからといって,この両引出しの間に小引出しを設けたり,あるいはAとBの引出しを一緒にしたりすれば,これは分類の引出しでなくなる。分類というものは,若干の例外やはみ出しがあっても,問題とするもの全体が,そう分類することによって,理解し易くなり,同時に個々のオリエンテーションがつけば,目的は達せられたとみるべきである。即ち,全体と個の関係が解り易ければよいので,まさしく重箱の隅をつついて全体を見失ったり,個にこだわってその置かれる位置に混乱を生じては分類でなくなる。稀な1%以下にこだわろうとする人のためには「未分類」,「例外」,「特殊例」,「将来整理されるであろう」という引出しを設ければよい。それすらも嫌な人には分類という引出しは使えない。疾患単位の定義は厳密でなくてはならないが,分類はあまり厳密では使いものにならなくなる。
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