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あとがき
塚越 廣
pp.1068
発行日 1969年9月1日
Published Date 1969/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406202607
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- 文献概要
長い間大学病院の外来患者に接していて,最近になつて病院の医師は患者の訴えをもう少し謙虚に聞くべきではないかと感ずるようになつた。こんな当り前のことを今になつてわかつたというのがおかしなことであるかもしれない。しかし少なくとも大学病院では病院の医師に都合のよい患者は歓迎されるが,都合の悪い患者は冷遇される傾向がないとは言いきれないのではないだろうか。
私たちの外来患者に例をとつていえば,頭重その他の不定愁訴で来院して,身体的にも検査所見からも著変を認めない患者が少なくない。大きな異常はないと言つても満足して帰る人は少ない。いきおい診療に時間がかかり,器質的疾患の要素が少ないことと相まつて歓迎されない患者ということになりがちである。このような例は神経症的要素の強い人が多いのであろうが,すべてがそうだと言いきれないところに問題があるようである。このような訴えのなかに器質的疾患がかくれていたり,まだ解明されないなんらかの異常の存する可能性がありはしないか——つまり私たちにとつて面白くないということはよくわからないためではないか——というように考えてゆくと,頭からその病気に対して否定的な態度をとることが許されるか否かも再考の余地があるように思われる。
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