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あとがき
塚越 廣
pp.100
発行日 1969年1月1日
Published Date 1969/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406202501
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- 文献概要
紛争下の東大においては建物占拠,研究室封鎖,不法監禁などという現代の平和な社会では到底考えられないような暴力が横行している。このような行為の是非を論ずるのが本文の目的ではなく,ここではこのような異常状態の下で学問・研究に対する考え方がいかに変化したかについてふれてみたいのである。学生ストライキが起こつてしばらくの間は研究は自由に行なわれ,暴力をもつて研究を妨害するような風潮はまつたくみられなかつた。初めて安田講堂の占拠が行なわれた頃にも,一般学生,研究者の間に占拠反対の声が盛んであつた。その後医学部の研究室封鎖が始まつた後にも,若い研究者を含めて封鎖そのものに反対する声が強かった。いかなる理由があろうとも,研究者の意志を無視し,暴力をもつて研究の自由を奪つてはならないという気持からの反対であつた。
しかし封鎖がさらに拡大して研究を放棄せざるを得ない人達が増すにつれて,逆に封鎖を支持し,あるいはやむを得ぬとして黙認する人達が増してきた。医学制度の改革をめざす学生ストライキを研究者自身の問題として自覚し,自分達もその改革のために努力するという趣旨の声明が出された。こうして現体制下の医学部内の矛盾を解決するための運動として,診療・研究および学界活動を縮少して,紛争解決の努力をなすべきであるという論議が盛んになり,集会に次ぐ集会が重ねられ,個人の学問,研究のための時間は急速に減少していつた。
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