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増田(慶大小児科) 患者は10歳の男。主訴は,全身の強直性姿位。現病歴は,分娩正常。生下時体重740匁,分娩時の仮死状態はなし。新生児黄疸は正常に経過。生後5ヵ月で,熱けいれんを起こし,けいれんの持続は約4〜5分。3歳で猩紅熱に罹患。その頃から家族の話によると腎孟炎にしばしば罹患し,そのつど熱をだしている。最近の学業成績は下。非常にあきつぽい性格,駈け足ができない。ころびやすく,3年生の時までは学校に就学し,それまでの学校の成績は並。昭和34年の1月,すなわち9歳の時になり,いつそうころびやすくなり,階段からしばしば転落。2度頭部の外傷を受けている。34年6月に,学力,体力ともに不良低下。昭和34年7,月,某大学小児科を訪ずれ,その時に知能検査で68という数字がでて,投薬を2週間受けている。それから後もしばしば発熱をみ,39℃くらいの熱が1日〜2日続くことがあつた。34年8月,西爪を食べたあと,水様嘔吐があり,一般状態が不良で,某大学を訪ずれた。意識混濁して疫痢の疑いということで某伝染病院に2週間入院。退院の頃から,歩行障害および言語障害がで,言語障害は,ろれつがまわらないような話ぶりで後に,しだいに言葉がわからなくなり,赤ん坊が話す呵語くらいしかしやべれないようになつた。昭和34年の10月,慶応神経科に受診,その時の診断は「脳性麻痺」ということで脳波および脊髄液の検査をしている。ところが脊髄液の検査のときに,非常に暴れてやりにくいので静脈から麻酔を行なつた。ところが嗜眠状態がずつと続き翌日39℃になつた。神経科のほうの診断で肺炎の疑いがあるということで,神経科に入院。入院2日目に下熱した。ところが神経科に入院中,両方の下肢に攣縮を認めるようになり,足の先がしだいに尖足状態になつて,それから後は,まつたく歩行ができなくなつた。12月になり,言葉はまつたく不能になり,食事の摂取も固型食をとることができず,ただ口に入れてやると,嚥下することが可能であつた。視力および聴力はあるようだが,あまりハッキリせず,言葉も歩くこともできず,ときどき空笑を認めた。翌年になり,昭和35年1月には,大小便がまつたく不能となつた。患児はその年の3月小児科に入院した。入院前1週間は,最高39.9℃,低くて37℃という間を上下していた。家族の話によると,この子の平熱は35℃であるといっていた。
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