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IX.再びCushingのこと
脳外科に限らず,Billrothが胃切除に手をつけて成功し新らしい胃手術の道を開拓した時でも,その前後この道の樹立に関与した人々の惨憺たる苦心,不成功の繰り返しによる精神的打撃,それにもめげずfightを燃やしつづけたことは,後世,胃を切ることが日常普通の手術となった我々には,想像もおよばないものがあろう。後には,生意気にもこんなことに昔の人は苦しんだのかとか,これを気づくのに何年もかかるとは馬鹿げたことであるなどと,思いあがることさえありがちであるが何十年も遡つてすべてが不完全な知識に頼つて工夫考究された時代にはきわめてわずかな改良でも創意でも想像を絶した苦心忍耐を必要としたに相違ないのである。
私は前に脳外科のはじまりの頃のことをざっと述べた。そして欧州の脳外科が,長い間mannerismというか低調をつづけ,特にいちじるしい進歩をしないまま,危険な外科の性格を脱しきれないうちに,米国では,まるで異質ともいうべき,すばらしい脳外科が発達普及して,ついにドイツでもイギリスでも米国流脳外科に習うようになつた経緯を説明した。そういうふうに述べると米国より格段に下位にあり,欧州の脳外科に打ちこんでいた有数な脳外科医のすべてがはなはだ不勉強であつて少しも際立った生長をせず,いたずらに難関に立ちすくんだまま進み得なかつたもののように誤解される可能性もあると思う。それはたいへんな間違いであつて,上述のとおりPasteurの細菌感染証明, Listerの石炭酸消毒,無菌法,麻酔薬の利用等とともに外科は婦人科的手術を経,腹部にはいり開腹手術という新らしい外科の道を堂々と拓いた後,脊髄の手術にも成功し,ついに脳の手術にまで手をのばすという野心に溢れたのは医学として目覚しい力の発現であつた。しかし,何分にもまつたく無の世界に有の世界をつくるのであるから,脳外科の開拓の困難さは想像を絶するものがあつたであろう。簡単に切り開かれる腹と異い,どうしても堅い頭蓋骨を開かねば病巣に達しられないのが脳の特質である限り,どんな困難があつても開頭術というものが成りたたぬ以上脳手術はできるわけはない。脳外科のできあがる第一段階として外科手術中最も苦心を要する開頭術というものを創案するという嶮しい壁がまず行手に立つていた。骨という,うるさい対象物だけでなく,体の他の部よりもいちじるしく出血正のわずらわしいという頭の特色が岡時にその壁をいよいよ嶮岨にした。脳膜,脳感染の危険,脳という組織の今までの外科手術対象とまつたく異なつた止血の困難なこと,その他の問題が次々に控えていた。あらゆる既成の外科技術をすべて動員しても,なお征服のし難い数知れぬ因子があとあとと現われてきた。この開頭術が一応創始されただけでも,たいへんな医学上の功績である。だから,外科では脳以外に何でもできる実力のぞなわつた撰ばれた小数の老練な外科医が脳外科の開拓にその全力を傾けたのである。それらの人々は,動物を使い臨床例を試みて繰り返し繰り返し,泣くにも泣けぬ悲惨な失敗に,うちひしがれることなく脳をうまく手術する工夫に長い年月を費した。そして一時は前にも述べたように脳手術は中心回の手術で,それ以外にみこみはないというv.Bergmannにしてはどうかと思われるような弱音も吐きながら,それでも,高い死亡率のもとで後頭窩も攻撃され,下垂体に鼻膣からすすむ道の開拓も行なわれ,Wagnerの開頭弁とか,止血帯や止血鉗子等々およそ頭以外にはなかつた新器械も次々に発明利用されて,とにかく開頭手術は少しずつ改良され新らしい病種,新らしい局所の手術も一歩一歩進められていつたのである。この方面の開拓の苦心を今の時代から想像することはあるいは困難であつても,ある程度,よくねばりつづけてきたものだ,そのお陰で我々もらくらくとその知識をうけついで行けるのであるぞ,ということは理解できるであろう。
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