増大号特集 精神科クリニカル・パール—先達に学ぶ
第2章 精神科診断の先達
special article
精神科医人生を振り返ってのクリニカル・パール
中根 允文
1,2
1出島診療所
2長崎大学
pp.614-618
発行日 2021年5月15日
Published Date 2021/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405206340
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精神科医となって,50年あまり経た今,当時の自分が何をもって精神科医を目指したか,あるいは精神科医となっていくプロセスで何を目指していたのか,これまでほとんど振り返ることはなかった。医師国家試験をパスして大学院に進学し,精神神経科学教室に籍を置いて同分野の研究に入っていこうとするとき,何らかの目標はあったように思う。義務教育を受けていた頃から,野口英世の話に聞き耳を立て20冊近くの伝記本を読みあさっていたが,高校・大学と進むにつれ,相応の変化を体験していたように思う。精神神経科に進む前には,もちろん優れた精神科医を目指していたはずである。ただ,筆者の学歴(表1)を見ても,そう易々と期待通りの展開をみず,いったんはいわゆる,理系の「研究者」を目指しながら,そこに破綻を来し,1年間の浪人を経て,医学部に転学しているのである。ただ,医学部では,ほとんど迷うことなく,精神神経科での作業を急速に深化させていっている。ただ,そこでも若干の戸惑いはあった。日本の医学界では,1960年頃,精神医学と神経学が屡々一緒になって発展してきており,筆者もそのいずれを専攻していくか,医学部卒後しばらくは戸惑ったものである。特に,大学院進学に当たって,基礎系または臨床系の大学院のいずれを研究の中核とするかは,当人だけでなく周辺の者からも大いに注目されるところであったようである。
次の表2には,長崎大学とかかわりのある先輩諸氏数名の略歴を列挙してみた。
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