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「科学は分類に始まり分類に終わる」といわれるが,精神疾患の分類ほど難しいものもないだろう。だが,そもそも「狂気」の起源は「神」と同様,人類の歴史とともにあり,その「分類は精神医学が学問として成立する以前から存在しており,事実,精神医学それ自体が分類から生じたのである」(Stefanis, N. C.)。こんな大仰なことから書き始めたのは,巻頭言で武田雅俊先生がDSM-5の話題から入り,精神疾患の分類の変遷とそれを医療でどう生かしたらよいのかについて正鵠を射た意見を簡潔にまとめられていたからである。DSM-5でも妥当性と信頼性が議論になったが,生物学的知見がいかに蓄積されようが,また統計学的処理がいかに科学的であろうが,illnessとcasenessの問題,その症状がpathogenetischなものに由来するのか,それとも時代や文化の色彩を帯びたpathoplastischなものにすぎないのかといった根本的問題はいつもつきまとう。
折しも,連載『精神科の戦後史』も5回目に入り,団塊の世代の精神科医には懐かしい思いがするが,その当時は分類も簡単だった。Laingの反精神医学の影響がまだ色濃く残り,疾患それ自体(illness)よりも疾患とされるものを取り巻く環境の反応(caseness)のほうを重視する姿勢が強かった。統合失調症が主対象だったが,その患者を周囲がいかにcaseにしないで支えていくかということに目がいったのである。そんな時代には分類など大した問題ではなかったのである。今回の連載には「宇都宮病院事件」も載っているが,最近某大学で起こった精神保健指定医レポート捏造事件の当事者たちは,賛否はあったが指定医制度ができたきっかけにこの事件があり,その背後には「社会的入院」というまさにcasenessの問題があったということを知っていたのであろうか。
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