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この編集後記の担当にあたり,ちょうど3年前の6月号にも書いた記憶が浮かんできた。3.11の年である。あの時にはパソコンに向かいながら,津波の映像とそこにおられた方々のことがずっと頭から離れず,同時に精神医学の力に虚脱感を覚えたことを思い出す。多くの人が亡くなり,被災し,悲嘆にくれても,しょせん精神医学は1対1でしか成り立たないのだ,と。折しも本号には,3.11での経験を踏まえた,丹羽先生らによる提言が「資料」として掲載されている。『方丈記』に見られるごとく,日本は大地震から逃れることはできず,そこから日本的な無常観が脈々と育まれてきたが,今は諦観してはいられない。1対1を越えて,丹羽氏が結びに記されているように,まさに「私たちが経験した苦労が今後に生かされるように切に願うものである」。
私事で恐縮であるが,この3月末で40年間勤めた大学を退職して臨床をゆっくりやっていると,精神医学における進歩とは何か? ということをいつも考えてしまう。1対1で患者さんと接していて,駆け出しの頃と現在とでは何がどう変わったのだろうか,と。ちょうど八木先生が「巻頭言」で書かれているように,法律は変わった。この背景には,患者の医療保護を適切に行うということ以前に,個々人の努力だけではどうすることもできない家族というものの在り方の社会的変化があるだろう。古川先生らによる「SUN☺Dの展望」は大きな期待を抱かせてくれる。これだけ抗うつ薬の種類が増えると,いくら工夫しても,もはや治療者の経験や勘だけでは対処できないだろう。肥田先生によるparoxetineのIR錠からCR錠への切替えに関する「研究と報告」も同様である。どう頭をひねっても限界がある。個人的な名人芸は通用しにくくなっているのである。DSM-5への爆発的関心(解説書がベストセラーになっているという)をみても,確かに精神医学は変化し,精神科医もそれを求めているのだろう。
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