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本号が出る頃には東日本大震災からはや3か月が経つ。ここで改めて,亡くなられた方々のご冥福をお祈りし,ご遺族に哀悼の意を表するとともに,被災された皆様にお見舞い申し上げます。
太平洋戦争を体験していない者にとっては,彼の地から遠く離れていても,今回の津波ほど“根こそぎの喪失”というものがいかなるものであるのかを実感させられたことはないのではあるまいか。何もかもが押し流された光景を映像で目にしただけで,生々しい手触りがあるもののように無常を覚える。こうしたなか,精神科医に何ができるのかと自問すると,くしくも巻頭言で三島和夫先生がいくつか的確に答えられている。そこで三島先生が,大災害の後には判で押したようにいわれる「こころのケア」という言葉を使ってないのにホッとしたのは私だけだろうか。わかったようでわからない,この口当たりのよい言葉を軽々しく口にせず,精神科医が行う「こころのケア」とはいったい何なのかについて,これを機に反省してもよいだろう。同じことは災害後に決まって安易に使われるPTSDについてもいえよう。「こころのケア」がいつでもどこでも誰に対してでもできるほど精神科医は有能ではないし,トラウマがいかに刻まれ,そして溶け去っていくのかという,まさにこころの襞のありようについて豊かな教養を蓄えているわけでもない。避難所で静かに座す老婆のたたずまいが隣の被災者のこころのケアになっている場合だってあるだろう。小林幸子の歌を口ずさみながら悲哀を洗い流していく人も,北島三郎の歌声からトラウマを乗越えていく人もいよう。こころに接するには臆病なほどの姿勢がよいのかもしれない。こころは依然として「天使も踏むを恐れるところ」(E.M.フォースター)に違いないのだから。
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