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Ⅰ.緒論
主体と環境世界とのかかわり方に関する問題は,精神医学における永遠のテーマである。そのかかわり方,適応のあり方を研究する一つの方法として,「視線の動き」が問題となる。何故ならば,これは人間存在の意識性と人格性の両側面を表現するものであるからである。日常生活においてわれわれは,意識的にせよ無意識的にせよ,視線を動かしながら周囲を眺め,凝視し,時には逆に周囲の対象から目をそらすことによって,その置かれている環境世界と密接にかかわりをもつ。視線--何を見るかということ——は主体と環境とを結びつける媒体であり,視線を通して内界と外界は触れ合う。Ponty, M. は「まなざし」に関するあの有名な論文の中でこう述べている。「私が物に追いつき,到達するためには,それを見るだけで十分なのだ。……だからこそ,私は自分の身体を見えるものの中で自由に動かすことができるのだ。……見えるのは,まなざしを向けているものだけなのだ。」「見る者はただそのまなざしによって物に近づき,世界に身を開くのである。そして一方この世界も,見る者がその部分をなしているものであるから,決して即自的なものとか物質とかではない。」「物のただ中にあるからこそ,或る見えるものが見ることを始め,自分にとって見えるものとなる。しかもあらゆる物を見るその視覚によって,見られうるものとなるのであり,また,物のただ中にあるからこそ,感じるものと感じられるものとの不可分な関係が生き続けるのである。」「それらは外なるものの内在であり,内なるものの外在なのだ。」と。これと同じ立場はvon Uexküll J. の“Umwelt”,Buytendijk F. の“Situiert-Sein”,von Weizsacker V. の“Koärenz”などの概念にも示されている。
かかる主体と環境世界との統合性が前提となってはじめて,視覚の生理機能の現実が保証され,主体にとって意味ある秩序となる。
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