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Ⅰ.私の精神療法
精神科医である以上,精神療法に熟達していなければならないはずだが,私の場合,精神分析療法や催眠療法などの特殊精神療法は経験皆無であり,一般精神療法にしても治療効果に責任のもてる精神療法ができているのかどうか,はなはだもって自信がない。私の精神療法の実質はせいぜいムンテラ(いうまでもなくlip serviceのドイツ語風医用俗語)と異なるところはないように思う。しかしムンテラしかできないのであれば心をこめてムンテラをやろうというのが,精神療法に対するいわば私の開き直りである。もちろんムンテラであっても患者の訴えには十分耳を傾け,理解ある聴き手になるための努力は怠らないようにしているつもりであり,それ以上は自分の地でゆこう--というのが私の精神療法観である。
私の精神療法には,森田正馬のいう〈あるがまま〉や,フランクルのいう〈自由と責任の自覚〉が再々とびだすが,それらは話し合いの素材であって,本格的な森田療法やロゴテラピーにはほど遠いものである。しかし日常の臨床において,フランクルのいう実存的苦悩とはこういうものか--と思わせるような訴えに遭遇することも決して稀ではない。実存の哲学的真意について知悉しているわけではないが,極言すれば患者の訴えで実存的でないものがあるだろうか--ともいえるであろう。たとえそれが心気的で誇張されたものであっても--である。結局われわれ医師は,患者の訴えや悩みに対して真剣に人間的なかかわりあいを示してゆくとき,各自が各自のロゴテラピーを志向し実践しているといえるであろう。フランクルは私が最も敬愛する精神療法家であるが,正統的なロゴテラピーには及ばずとも,私には私なりのロゴテラピーがありうることをいささかの確信をもって自認すべきかもしれない。
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