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動き
北京の精神病院—中国精神神経学界管見
The Mental Hospital in Peking
小西 輝夫
1,2
Teruo Konishi
1,2
1松下電器健康管理本部
2松下病院神経科
1Dept. of Neuropsychiat., Matsushita Health Service Center
2Matsushita Hospital
pp.212-218
発行日 1967年3月15日
Published Date 1967/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405201169
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はじめに
1965年秋,日本中国文化交流協会訪中関西代表団(団長・京都国立博物館館長塚本善隆博士)に随行して約3週間にわたり,中国の各地を訪問する機会を得た。もつとも,関西在住の文化芸術客方面の代表者からなる団体(総員10名)の随員医師として訪中したのであるから,中国の医学事情をみるのが主目的ではなかつたし,それに例の文化大革命はそれ以前とそれ以後の中国のあらゆる面をまつたく変貌させてしまつたと思われるので,いまごろちよつと見の中国医学界の印象を記しても,おそらく見当はずれなものになるかもしれない。とくにあの広大な中国が3週間あまりの見聞で理解できるはずもないし,また共産主義(というよりは毛沢東主義というべきだと思うが)体制下の,けつしてありのままが見せてもらえたとは思えない旅行で中国の印象を素描することは軽率のそしりを免れないであろう。しかしまた日本にいては想像もできなかった事柄を眼前にしたことも事実である。日本人が隣の中国についてあまりにも無知であったことを痛感させられた3週間でもあつた。もつともそれ以上に中国人も日本の現状を知らなさすぎるが,これはおそらく知らされていないのであろう。とすれば,知る自由をもつわれわれ日本人がもつと積極的に中国を理解すべきではないだろうか。スケジュールのぎつしりつまつた団体行動の寸暇をぬすんでかいま見た中国医学界の,文字どおりの管見記であるが,1965年の秋という時点で見聞したありのままを記してみたいと思う。
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