第4回精神医学懇話会 精神医学と行動科学
指定討論
小木 貞孝
1
1東京医歯大総合法医研
pp.639-641
発行日 1967年9月15日
Published Date 1967/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405201236
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はじめに,私の立場を述べておきます。私はべつに行動科学の専門家ではなく,吉益脩夫先生の指導のもとに刑務所の囚人の研究をやつていたところ,臺先生からお前のやつていることは行動科学だぞといわれ,よく考えてみるとそうかも知れぬと気づき,少しばかり勉強した者であります。したがつて,いまの臺・平尾両先生のお話をきいていると大部分がなるほどそうだと啓発されることばかりで実は弱つているところです。しかし感心ばかりしていては討論者としてのせめが果せないので,どこか打ち込むすきはないかと苦慮したあげく,前から臺先生とお話しするさいにどうしても一致しないところがあることを思いだし,それをたよりに臺先生が行動科学の基本的方法とされた三つの方法,すなわち数量的な観測・実験的な問いかけ・将来の予測をたてることの各々について私の考えを述べてみることにします。
まず,第1の数量的な観測については,ここでいわれている数量とは何をさすのかという問題があります。人間の空間や時間が,物理的な意味での時間や空間でなく,「生きられる」ものであることは人間学や現象学の前提でありますが,この前提と行動科学でいう数量概念とはまつこうから排反します。早い話が1m先においてある食物は単なるものとしての食物とも,食べられるべき食物としてもみられ,それによって食物の性質も生きられる距離も変わつてきます。私のうかがいたいことは,行動科学においては,この生きられる空間や時間と観測によつて得られた物理的距離や時計的時間との間にある隙をどういうふうにうずめていくのであろうかということです。
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