特集 精神療法の限界と危険
第1回日本精神病理・精神療法学会シンポジウム
シンポジウム「精神療法の限界と危険」に対する指定討論および一般質疑
指定討論
小此木 啓吾
1
1慶大医学部神経科
pp.111-113
発行日 1965年2月15日
Published Date 1965/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405200797
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この秋は,オリンピックのほか,いろいろと政治のシーズンのようですが,このシンポジウムの設定settingも,なにやら,政党の演説会のような感じであります。私は,どちらかというと,日本の精神療法におきましては,20代は全学連,30代になつて,こんにちは,社会党左派ぐらいのところでかろうじて議席を与えられたようなぐあいで,そんな立場から,発言をさせていただくことになります。
いままでお話しくださった先生方に対して,感想や意見・質問を申し述べるわけでありますが,“限界”というコトバのなかには,一方からいうと,そういう“限界”があるのだから気をつけなければいけない,という反省・批判の意味があると同時に,精神療法は,あくまで実践的なものでございますから,その“限界”をどういうふうに解決してゆくか,という意味も含まれていると思います。私はまだ社会党でありますから,できるだけ現実を改革してゆくという,その“限界”をいかに打破してゆくか,昨日までの精神分析学会での霜山先生のおコトバを惜りると,私はまだ,“optimisticなpessimist”であるFreudianの,その“optimistic”な段階だけを,きようはお話しいたします。
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