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はじめに
特発性肺胞蛋白症は全国に推定400人の患者がいる希少肺疾患で,患者の3分の1は無症状であり,自然寛解も10%あるといわれている.1970年代に肺洗浄療法が開発普及してから,いくつかの薬物療法が試みられたが,注目に値する治療法はなかった.肺洗浄療法は,全身麻酔下で2ウェイ挿管チューブを用いて片肺ずつ2回で肺を洗う全肺洗浄法と,1区域ごとに複数回洗浄する反復区域洗浄法があるが,いずれにしても患者の苦痛は大きく,治療を受けた患者のなかには「悪くなってもいいから,もう二度とあの治療は受けたくない」と話す人もいる.
1994年,米国のマサチューセッツのホワイトヘッド生物医学研究所のDranoffが偶然,顆粒球マクロファージコロニー刺激因子(GM-CSF)欠損マウスに肺胞蛋白症が起こることを発見し,それが引き金となって,GM-CSFと肺胞蛋白症の関連が注目された.1999年,当時,東大医科研で肺胞蛋白症の病因物質を追求していた私は,2年半の苦闘の末,特発性肺胞蛋白症の気管支肺胞洗浄液と血中に大量の抗GM-CSF自己抗体が存在することを発見し,ついで血清抗体測定により血清診断法を開発した.以来,特発性肺胞蛋白症の患者は全例が自己抗体陽性であることがわかり,自己抗体が病因であるというのが定説となっている.
東大医科研の小さな研究室で特発性肺胞蛋白症のどろどろした肺胞洗浄液と格闘していた頃,オーストラリアとスイスでは,特発性肺胞蛋白症の病因がGM-CSFに対するマクロファージの反応性の低下にあると考えた医師がいた.彼らは,皮下注で連日GM-CSFを投与すれば改善するのではないかと考え,実行した.結果は13例に投与して6例が著明に改善した.
1999年,私は抗GM-CSF自己抗体発見の研究成果を発表するためにボストンで開かれたアメリカ胸部学会に出席し,初めてGM-CSF療法のことを知った.抗GM-CSF自己抗体が病因であると主張していたから,抗原であるGM-CSFを患者に投与するのは火に油を注ぐものだと考えて違和感を覚えたが,試しにスイスの医師Otto Schochに治療前後の血清と気管支肺胞洗浄液を送ってもらってその自己抗体価を測定した.結果は驚くべきものだった.血清中の自己抗体価は治療前に比べて治療後は60%程度であったが,気管支肺胞洗浄液中のそれは,治療6週後,12週後には消失していた.GM-CSFは皮下注で投与されていたから,肺の中に大量にある自己抗体が中和により消失したとは考えにくく,おそらく肺に脱感作による抗体消失が起こっていると思われた.
GM-CSF皮下注療法の効果に感嘆していた頃,東北大学加齢研の貫和教授から,特発性肺胞蛋白症の重症例の治療について相談を受けた.外来受診された患者の動脈血酸素分圧は37mmHgで,二度全肺洗浄療法を受けたが効果なく,2000年夏には在宅酸素療法が開始され,やがて患者はほとんど寝たきりの状態になった.教室の田澤助手は,GM-CSF皮下注ではコストがかかりすぎること,スイスでの治験の情報から悪寒などの副作用があることから,GM-CSFを250μg/日連日で隔週で12週間,吸入によって投与することを決め,医学部の倫理委員会,厚労省医薬局の薬鑑証明など煩雑な手続きを粘り強くこなして半年かかってスイスより輸入し,2000年12月に国内初のGM-CSF吸入療法が実現した.
その後,東北大学,近畿中央病院で各1例の重症特発性肺胞蛋白症に吸入療法が試みられ,いずれも劇的に改善している.
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