医道そぞろ歩き—医学史の視点から・2
たといわが命死ぬとも道ひらかん
二宮 陸雄
1
1二宮内科
pp.1042-1043
発行日 1995年5月10日
Published Date 1995/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402903674
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杉田成卿が訳したフーフェランドの「医戒」は嘉永2年(1849年)に刊行され,多くの医者の魂を揺すぶりました、この嘉永2年という年は,日本の医学が大きな転機を迎えた重要な年です.
イギリスのジェンナーが牛痘種痘による痘そう(天然痘)の予防に成功したのは1796年(寛政8年)です.天然痘はこの種痘のおかげで今は絶滅していますが,当時は恐るべき猛威をふるい,流行時には江戸で1万人も死ぬほどで,人びとは村のはずれに赤い布を結んだ竿を立て,赤で描いた武者絵を壁に貼って,病魔が入ってこないことを祈りました.天然痘の病魔は赤い色を嫌うと信じられていたからです.発疹が赤い光のもとで見えやすいからでしょう.
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