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生涯の感激,クロー先生の手紙—国立仙台病院長 中沢房吉氏に聞く
長谷川 泉
pp.1038-1039
発行日 1965年7月10日
Published Date 1965/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402200911
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古生物学を専攻していたかも……
長谷川 先生が医学者になられなかつたら,いつたいどんな途を進まれたとお思いですか。まずそのことをうかがわせてください。
中沢 おそらく地質学者,そして古生物学を専攻していたと思います。その理由はといえば,こんなことになります。私の郷里の新潟県柏崎は石油で有名でした。明治の初め,近くの石地町出身の内藤久寛という人が石油に着目し,日本石油会社を創設し,私の中学時代(明治40年〜45年)まだ健在でした。私は地質学を学び,日本石油の指導的立場になりたいと思つたので,その目的で二高に入りました。ところがその頃から次第に石油が出なくなつて,掘るとガスばかり出るので石油会社も見込み少なくなつたし,さらに二高で地質の講義もあつたが,その先生の講義が実につまらないので,地質をやる気がなくなりました。ただ古生物学というのは面白そうだから,石油はあきらめてその方をやろうか,などと考えているとき,東北大学に医学部ができたので,その方に転じようかと思つて親に相談したら,親戚に一人も医者がいないから,といつて親も乗り気,また東大出の町の院長さんに相談すると,すばらしい立派な先生がきまつているから,ぜひ東北の医学部に入れとすすめられて,方針がきまつたのです。古生物学も面白い学問ですが,やつてみると医学もなかなか面白く,一生の方針としてあの時転換してよかつたと思つています。
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