病院長プロフイル・66
岡崎喜一郎氏—国立嬉野病院長
pp.660
発行日 1959年8月1日
Published Date 1959/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541201551
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嬉野と云つても九州以外の人には至つて馴染みの薄い地名であろう.佐賀県の西部,長崎県境に近い山峡の一隅にある人口2万のわびしい温泉町なのである,温泉としての歴史は古く,神功皇后三韓征伐の途次比処に温泉を発見して傷病兵の治療に利用したと云う故事が伝わつている.戦前はひなびた淋しい湯治地に過ぎなかつたのが,昭和12年に佐世保鎮守府管下の海軍病院の誘置建設に成功し,更に戦後の観光ブームに乗つて宣伝した甲斐あつて急に発展してどうやら九州では名を知られる観光温泉地になつた.鉄道路線から離れては居るが,バスの発達のお蔭で交通の便は割に良く,佐世保線武雄(タケオ)駅及び大村線彼杵(ソノギ)駅から国鉄バスが30分間隔で往来し,嬉野迄約30分の道程である.初めて国立嬉野病院を目指して来る人は,山林,茶山,田畑の間を縫う田舎道を見ると,果してこの山峡の奥にベツト数600もの大病院があるだろうかと疑い車掌に念を押してみるそうだが,いざ着いてみると旅館の立並ぶ泉郷の町はずれ,緑したたる山麓に公園ともまがう程整然と手入れされた大庭園の中に赤瓦木造二階建の病棟が立並ぶのに2度びつくりするそうだ.
国立嬉野病院は終戦によつて嬉野海軍病院が厚生省に移管されたものである.
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