わたしの分娩
母親としての出発に感激する
田中 孝子
1
1元武蔵野日赤
pp.34-35
発行日 1965年1月1日
Published Date 1965/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611202898
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「昭和39年8月22日午後4時32分,「オギャー」と元気な声に「女の子さんですよ」と介助して下さった先輩の言葉が緊張をどっとほぐした.去年の夏はことのほか暑く,都内は給水制限にあえぐ毎日であった.
8月21日午前5時,明け放した窓から入る朝風にふと腰部の重苦しさをおぼえて目を開いた.かねてから予期していたごとく,とうとうやってきたかという一種の緊張感であった.主人を起こして時計を見ると,ちょうど15分間隔に波が来る.それも腰部とくに仙骨部への板状の重苦しさだった.腹式呼吸をして圧迫を加えると,大変楽になった.そのうちにわずかな出血をみたが,まだ1日くらいの余裕がありそうに思えた.主人の心配顔をかたわらにしては,あまり落ちついてもいられない.とにかく彼を職場へ送り出して様子をみた.家中の整理,洗濯,近所への伝言も済ませ,実家の母を寄び寄せた.母の診察の結果,子宮口は閉鎖しているが,児頭が2節指半くらいに下降してきているとのこと.頸管粘液を含む血性分泌物が多量に排出されたので,入院を決心した.
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