病院長プロフイル・4
親切とねばりで一生を貫く—国立仙台病院長加藤豊治郞氏
大石 武一
1
1前衆議院
pp.28
発行日 1953年7月1日
Published Date 1953/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200670
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加藤豊治郞先生は私の恩師である。大正15年東北大学を卒業してより15年の間,私は先生の後に従つて医学の道を歩んで来た。私の医師としての物の見方,考え方はすべて先生の影響によつて造り上げられたと言つてもよい。昭和23年春父の死によつて突然政界に出るようになつた時,先生は私に生涯を医学者として終える事が望ましいと懇々とさとされた。然し私は敢て先生の御意志に反し,父の遺言に従つて国会に出て来たのである。現在静かに5年間の忙しい,空虚な生活を顧る時,先生の御考えの方が私にはふさわしい生き方ではなかつたかと考える事があるのである。然るに先生は毎日どうして私がこの選挙に敗れたか,今後はどうしたら勝てるかと云う事を真劍に考えて居られる。而もその御考えが選挙通であるべき私に極めて妥当に適切にひびくのに驚いている。
先生はこの上もなく善意の人である。尤も政界の者から見たら惡意の学者は極めて少いとは思うのであるが。先生の一生を貫く特性は親切とあく事を知らぬねばりであろうと思う。学内に於ては先生は極めて厳しい教授の一人と言われていた。私も総廻診の時患者の前でどんなに叱られたかわからない。段々に医者の道がわかるようになつて来ると,先生の叱る事がどんなに若い弟子の成長を思う為であるかが認識されて,叱られぬ場合にはむしろ淋しく思う事さえもあつたのである。
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