連載 Festina lente
通読ということ
佐藤 裕史
1
1慶應義塾大学医学部クリニカルリサーチセンター
pp.1817
発行日 2012年10月10日
Published Date 2012/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402106211
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主要作品のみならず断簡零墨に至るまで残らず読まねば文学者の全体像はわからない,と啖呵を切ったのは小林秀雄だったろうか.それはそうだろうが,暇のある学生の頃は全集を買える懐具合ではなく,数万円の全集が買えるようになると今度は読む暇がない.従って「その人の書いたものを全部通読する」ことはしたことがない.
しかし,気に入った人の書いたものならば少しでも目を通したい気持ちにはなる.その人の名前の入った文章ならなるたけ読もうとしてきたのは作家に限らない.串田孫一,加藤周一,鶴見俊輔,松田道雄,なだいなだ,土居健郎,中井久夫,下坂幸三,神田橋條治,David Lodge,丸谷才一,中村真一郎,小熊英二,内田樹,村上春樹,Jeremy Holmes,Eric J. Cassell,Fernando Pessoa,立花隆,茨木のり子といったあたりか.医者,殊に精神科医の多いのは私の職業の然らしむるところでやむを得ない.到底全著作を熟読したなどとは言えないし,著書が300冊を超える哲学者・随想家の串田の場合はその一割も読んでいないけれども,時間と懐の許す限りこれらの人々の著作を入手し,論文も複写して手元においてはきた.New York Timesに加藤が寄稿した天皇制論の原文が読みたくてアメリカ文化センターを訪ねマイクロフィルムで読んだのは高校生の頃だった.受験勉強に身が入っていなかった証拠である.
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