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この数年,縁あって年に一度ほど中国を訪ねている.北京大学医学部の学生にも講義した.接した若手医師や医学生はもとより,北京,上海,天津や香港のホテルの受付の若者なども皆,その初々しさとひたむきさが強く印象に残る.勉強中の英語や日本語を少しでも練習しようと,恥じらいながらも懸命に話し案内してくれる様子は健気でならない(彼らの名誉のためにいえば,少なからぬ学生や若手研究者はわれわれが恥じ入るほど流暢で正確な英語で堂々と論じる).韓国や台湾,インドネシアやタイの若手医師に会う折にもこうした初々しさ,まっすぐな混じりけのない姿勢を常々感じる.無論これとは対照的な日本の若手の引っ込み思案,受身で白けたような無反応ぶりが念頭に去来するわけだが,こうした傾向は私の学生時代にもすでに散々批判されていたから,今に始まったような顔で現在の学生を非難する資格は私にはない.初々しさやその欠如は,数十年以上の中長期的単位で考えるべき問題なのだろう.
天津と北京への出張から帰った夜,たまたま衛星放送をつけたら溝口健二監督作品『新平家物語』(1955)が放映されていた.昔『雨月物語』『西鶴一代女』の白黒の幽玄な画面に圧倒されたので,「総天然色」によるdigital remasteringの画面には少々違和感があったけれども,つい引きこまれて最後まで見てしまったのは,若い市川雷蔵や久我美子の迸るような真摯さと,戦争の間ずっとこらえてきたものが吹っ切れて溝口監督の下で思い切り演技ができる幸福感からか,進藤英太郎らヴェテラン勢のやはりはちきれるような勢いの故である.敗戦後十年余りの日本映画は,溝口,小津安二郎,衣笠貞之助,黒澤明,成瀬巳喜男ら綺羅星の如き名監督達によって一気に世界の耳目を集めて,映画史上特別な一時期であったという.それにしても,1950年代の日本の若者には,今私が日本以外のアジアの若手に感じるようなひたむきな初々しい情熱が横溢していたように思えてならない.私の学生時代,朝の講義の出席の悪さに業を煮やして「自分の学生時代は講堂の最前列の席を早朝から我先に奪い合ったものだ」と慨嘆した教授があったのを覚えている.その教授の学生時代はまさに1950年頃だった勘定になるから,平仄は合う.
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