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哲学者の鶴見俊輔氏は,小学生にして既に札付きの「不良」.元高級官僚で政治家で流行作家という選良である父・祐輔氏は,万引や自殺企図を繰り返す幼い俊輔氏に弱って渡米させる.Prep schoolで学才がにわかに開花し,Harvard大学で哲学を学ぶが,日米開戦で拘束され,留置場で卒論を書いて帰国.「ベ平連」や米軍脱走兵支援活動など波乱万丈の人生を通じて鶴見さんが日本の知識人の通弊と指摘するのが「一番病」である1, 2).同時代の学界の基準に沿って,既に一番になっている先頭集団に割り込み,席次を最重要視して病院でも料理屋でも音楽でも順位付けする格付け至上主義で,自分の頭の良さを世間に対して証明しようとする.私なりにいえば「正解のあらかじめ決まっている問題を与えられ,短時間で解き,期待通りに答えて,採点を待つ生き方」となろうか.ブランド志向やマニュアル志向も,何のことはない,明治以来脈々と受け継がれてきた一番病の現代風表現にすぎない.
日本で独創的研究が出にくいのもヴェンチャー企業が伸びないのも同根だろう.医者だってほぼ全員が一番病患者ではないだろうか――医学部に合格し,膨大な暗記や実習,国家試験を通過した人だけなのだから.「大学中退の医者」があり得ない所以である.ただ,一番病を自覚してその手当をした人と,無自覚なままそれを他人に感染させる人との別はありそうだ.「学会の診療指針に準拠した医療を行って患者から文書で同意も得ていれば,その医療は合格である」とする医者など,未治療の一番病の疑いが濃厚であろう.「論文を書かない奴は死ね(publish or perish)」という米国製「グローバルスタンダード」も一番病患者には呑みこみやすい.これが医療に及ぶと「指針に合致しない治療は無意味」「4週間入院したらよくなっていてもいなくても退院か転院」という無情な効率主義に行きつく.
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