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機体の不調でその米国行き飛行機は6時間遅れでデンマークを発った.呼吸器関係の学会が開かれ,その帰りと思しき初老の紳士が隣席になり,配られた飲み物を手に静かに話しかけてきた.アラブ系の彼は私には英語で,乗務員にはスウェーデン語で話す.エジプト生れ,大学はパリ,大学院がスウェーデンで,今はニューヨークの大学の内科教授だという.毎年夏バイロイト音楽祭を訪ねるWagnerianで,博覧強記な碩学である.「中東出身で西欧的教養を身につけ米国で活躍」といえば亡くなった文芸批評家Edward Saidさながらではないかというと,幼な馴染で亡くなる直前も見舞ったという.SaidとピアニストBarenboimの対談集のことなど四方山話をしたが,「教育者冥利に尽きるのは,教え子がそれぞれの分野で伸び,後年同僚として再会して彼等から最新の知見を教わるときだ」といわれたのが記憶に残る.Teaching is learningという,もうあまり口にされないことわざを思い出した.中東の戦乱の辛酸を生き抜いてきたであろうこの老紳士の温顔,含羞,英知.その彼が目を細めて語る教え子たちは,定めし世界中で活躍しているのだろう.
「師に遇わざるを不遇という」なら,私は不遇であったことがない.国内外どこででも立派な師に恵まれた.皆驕らず,学識をひけらかしも秘匿もせずに惜しげもなく分け与えてくれる.自分の知識経験を後進に手渡しし,育ち独り立ちするのを見送ることこそが責務と心得て,淡々と務めておられる.反対に,令名いかばかりであろうとも,虚勢を張り徒党を組んで居丈高な人は「敬シテ遠ザク」ようになった.そして今,師から手渡しされたことを後進に順送りするのが私の番である.一子相伝は非能率も甚だしいが,手渡しは一対一でするものだろう.
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