- 有料閲覧
- 文献概要
- 参考文献
第二次大戦の戦火,教え子の召集と戦死や言論弾圧の中でも,フランス文学者の渡辺一夫はしなやかな抵抗と健全な懐疑精神を失わず,弟子筋の串田孫一,中村真一郎,加藤周一,大江健三郎らからその一貫した姿勢――あるいは知的不変節――への敬愛を得ていた.戦争の前後で信条や立場を二転三転させて恥じず,そのうえ戦中の豹変ぶりを戦後隠蔽した多数の知識人や報道関係者の付和雷同と日和見とは著しい対照である.
首相のいった通り,戦禍から60余年で最大のこの国難にあたって,私は渡辺の随筆(の名高い命題)を思い出す――「寛容toléranceは自らを守るために不寛容intoléranceに対して不寛容intolérantになるべきか」*.つまり,「この非常時に何事か」「そんな弱腰でどうする」と目を吊り上げて異端異論を弾劾する不寛容さを戒めるのみでなく,そうした不寛容な,狷介に荒ぶる人たちへの振舞いにおいてさえも,寛容さを維持できるかどうかを渡辺は問うた.「極論は止めよう」「仲間割れはよそう」という穏当な常識は,しばしば極論の前に軟弱だとなじられ乱暴に論破される.さりとて極論暴論に対して声高に反駁すればするほど,二つの相反する党派の正面衝突になり果ててしまう.穏健派が過激派を抹殺するのならもはや穏健派は穏健派でなくなり,寛容は不寛容に等しい.「寛容の武器としては,ただ説得と自己反省しかないのである」.不寛容への一次元更に高い視点における疑問,「寛容は,数人の英雄や有名人よりも,多くの平凡で温良な市民の味方である……寛容は寛容によってのみ護らるべきであり,決して不寛容によって護らるべきでない」という渡辺の品格の高さと志操こそ,教え子たちが慕い続けた所以だろう.
Copyright © 2011, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.