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編集室より
Y
pp.370
発行日 2009年2月10日
Published Date 2009/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402103806
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●年甲斐もなくラフティングで怪我をして,年をとっても続けられる運動はないものかと嘆息していたとき,太極拳に巡り会いました.その優雅な動きを真似ようとしても,なかなかうまくいかず諦めかけた頃に「これだ!」という感覚が訪れました.それは,流れの中で次の動作を意識した瞬間のこと.それまで不可解だった動作の1つひとつが合理的な動きとして感じられました.合理的な体の動かし方は,美しいがゆえに人を魅了し,合理的であるがゆえに人々に受け継がれてきた,そう納得した瞬間でもありました.
●合理的だから美しい,合理的だから受け継がれる.この言葉だけをとり出せば,医師の診断技術,なかでも身体所見のとり方に共通するようにも感じます.道具の使い方を含めた体の使い方,それに対する患者の反応を自分の体に覚え込ませていくしかない,Polanyiのいう暗黙知の占める割合が多いために,教えるのも学びとるのも難しい.そんな領域だからこそ,医師にしかできないことであり,機器がすべてを代替できるものではないのでしょう.
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