特集 地方自治体と公衆衛生—総合性と専門性の確保
国立保健医療科学院からみた自治体職員の人材育成の歴史と課題
曽根 智史
1
1国立保健医療科学院
pp.292-297
発行日 2018年4月15日
Published Date 2018/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401208869
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保健所などの公衆衛生従事者に対する研修の歴史
国立保健医療科学院(以下,科学院)は2002年4月1日に設置された厚生労働省の研究研修機関である.現在,8統括研究官,7研究部・センター,総務部からなり,職員数(常勤)は約100名である.
その前身の一つは,1938年に公衆衛生技術者養成機関として東京白金台に設立された国立公衆衛生院(以下,公衆衛生院)である.関東大震災の頃からその構想はあったが,1930年ごろから具体化され,1938年に建物が竣工した.公衆衛生技術者の訓練実施のために,現在の保健所の原型の一つとされる保健館が,東京都と埼玉県の協力を得て京橋(都市保健館)と所沢(農村保健館)に設置された.これらは,公衆衛生院において学んだ学理を実地に応用し,またその実施方法を実習するために設けられたものである1).保健館自体の活動は,公衆衛生院の完成に先立って始められた.対象人口は,それぞれ東京都京橋区(当時)の15万人,埼玉県所沢町(当時)付近4町・27村の13万人と伝えられている.公衆衛生院,保健館ともに,米国のロックフェラー財団の資金援助で建てられ,その額は合わせて350余万円(当時)であった.厚生省が内務省から独立したのは1938年であり,保健所,公衆衛生院,厚生省はほぼ同時期に生まれたことになる.
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