私たちの保健所・28 大阪市・浪速保健所
都心部保健所の隘路に挑む
水原 完
pp.244-245
発行日 1971年4月15日
Published Date 1971/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204247
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地域の概況
大阪の古い地名"なにわ"を冠している当保健所管内は,大阪市のほぼ中央部にあり,明治31年の第1次市域拡張で大阪市に編入され,第2次市域拡張の大正14年南区より分区して浪速区が誕生した.その後昭和18年22区制がとられた際,現地域となった.昭和19年浪速保健所創設,戦災により管内の90%以上が焼失し,一時閉鎖,その後西成ついで南保健所の支所となり,昭和30年4月昇格独立し,15周年を越えた.
当地の東部には,全国的に名を知られる日本橋筋の電機問屋・履物問屋街があり,大阪で昭和初期につくられた日本最初の公営鉄筋住宅が残存している.区の西部には,西成と続いている全国一規模の大きい同和地区があり,また全国本部を有する部落解放センターがある.南東部は通天閣で名高い新世界,中央部なんば近くに,私設卸売市場として旧い歴史をもつ木津市場や,大阪球場・府立体育館など全国的に知られたスポーツ施設が多く,また十日戎でにぎわう,今宮戎神社をはじめ八坂神社大国神社など,由緒ある神社仏閣の名所旧跡も多い.
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