教室めぐり・24 長崎大学公衆衛生学教室
教育研究面に医学のもつ社会的側面を重視
相沢 龍
pp.246
発行日 1971年4月15日
Published Date 1971/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204248
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教室の沿革
安政4年(1855),幕府の招きで長崎に医学伝習所を開いたオランダ海軍軍医ポンペは,その任を終えての帰国直前ここで衛生学の講義を行なっている.以後,長崎医学校(明治時代),長崎医専(明34〜大12)で衛生学が法医学,細菌学などとともに講じられてきたが,衛生学教室の完全独立は長崎医大昇格の翌年(大正13年)である.
当公衆衛生学教室が長崎大学に新設され,筆者が大阪女子医大(現関西医大)から赴任したのは昭和28年4月である.原爆で灰燼に帰した長崎医大は,当時ようやく復興がその緒につき,わずかに基礎医学教室の一部新築が完成したところであって,なお大部分の教室は応急修理された旧病院外来の建物に集っていた.したがってその一隅をかりて講座を開設した当教室は,研究の場を教室外に求め,研究の主体を実態調査において出発した.当初着手した研究は,乳児死亡の実態調査と住居の広さに関する基準論のための住宅調査であった.基礎医学教室の建設が進み,実験室的研究が行なえるようになったのはなお数年後であった.
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