醫學隨想
紡績衞生の今昔
南 俊治
1
1國學院大學
pp.16
発行日 1952年6月15日
Published Date 1952/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401201049
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つい此間のことさる醫大の教授達(衞生や公衆衞生關係ではなかつた)と同席した際,たまたま紡績工場の衞生問題にふれたが,此人達が紡績には相も變らず結核が多いんだと思つておられたのには驚きもし又少なからず殘念に思つた事であつた。だが考えてみれば直接には縁もゆかりもない紡績のこと,何も御承知ないのは無理もないといえばそれ迄の事ではあるが。
處で綿糸紡績業はわが邦近代機械工場中最も古いものでそれが本格的の發展を遂げたのは日清戰後からであるが,此頃から徹夜業と結核とが識者の注意をひき始めた。それが大正2年石原修氏によつて公にされた女工と結核と多少の誇張はあるにせよ自己の體驗を基として劣惡な勞働條件や衞生状態を曝露した細井喜和藏氏の女工哀史とによつて紡績といえば結核,結核といえば先づ紡績という迄に世の多くの人々の腦裏深く植えつけられてしまつたといつてよかろう。當時農山村から募集せられてくる女子16,7才を最多とし,中には7,8才の弱年者も少なくなかつた。
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