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公衆衞生今昔(1)
高野 六郞
pp.51-52
発行日 1946年10月25日
Published Date 1946/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200046
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今昔の感を催すのは現時の日本人誰しも胸の裡であらうが,吾人公衆衛生に繋る者にも格別今昔の感の強いものがあるやうに思ふ。
巷説によると衞生省が出來るそうである。恐らく醫界から大臣次官局長などがズラリと並ぶの盛觀を呈することにもなるであらう。日本の國運は軍閥に誤られたのであるがその軍閥の親玉や所謂靑年將校らは,日本の行政役人達の羽振のよいのを羨望して之を軍人の手でやつて見たいと感じたのが軍人政治關與の根本であつたとも考へられるのである。その行政機構に於ては法律エキスパートが完全に羽を伸ばし,法閥とも稱すべきものが牢固として築き上げられて居た。衞生局長の如き特殊の部局の長すら中々法閥以外の手には渡らない仕懸になつてしまつて居たのである。局長なるものには高文出でなければなれないやうな無茶な常識が出來たのも考へて見れば不思議な位である。口實としては,技術屋には事務處理的能率が無いとか,技術官は偏狹卑識だと云ふのであるが,例へば良き教養を受けた醫科出身者は如何なる面に於ても法科出身の優秀者に劣ることはない筈なめである。やらせて見れば必ずやれるし,殊に衞生行政などには優良な成績を擧げる見込は十分あるのだが,寧ろ官界の僻見から,之を使つて見ようともせず,又偶々一二の局長級の地位に倚らしめても,法科系の同僚は寧ろ之を孤立排穽することに興味を持つものが多かつたのである。
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