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公衆衞生今昔(3)
高野 六郎
pp.238-239
発行日 1946年12月25日
Published Date 1946/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200082
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日本の公衆衞生を展望するには,第一次世界大戰以後今度の世界戰爭終末までの間の事情を知れば,略ぼ十分であらうと思ふ。その間に日本の衞生行政は,少年期から青年期に育たうとしたのである。そして大戰爭といふ變則な刺戟のために,幾分畸形的に伸びかけて結局榮養失調の状態に停頓してしまつたのである。
元來日本には明治6年の醫制發布まで,衞生行政だの公衆衞生だのといふ觀念が無かつたのだから,長與專齋によつて衞生といふ言葉が創造されても,その言葉の内容が充實するのは容易でなかつた。長與專齋は公衆衞生を發展せしめるには先づ以て良い醫師が必要であるとなし,從つて第一段の事業として醫育の向上と醫師の試驗制度を重んじ,醫學の内容としては西洋醫學を採り,漢法國法の醫術を斥りた。そこで西洋醫學で教育された醫師の數は増加して來たが,醫育機關の基本觀念が本來長與の考へた方向とは段々距れて,醫學校は單に臨牀醫を製造する職業教育機關となり,その臨牀醫の働く舞臺は開業醫を主とし,或は開業醫的性格の公私立病院であつて,要するに醫療收益の多きを競ふ以外に能事なき觀を呈したのである。所謂る良き醫師が輩出し,所謂良き醫療が普及したけれども,國民の健康状態は改善されす,衞生行政施設は格別の實績を擧げたものはない。
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