公衆衛生Books
―大谷藤郎(著)―『消えた山』
pp.566
発行日 2012年7月15日
Published Date 2012/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401102486
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●故大谷藤郎氏最後のメッセージ(本書第1章 自伝「消えた山」序章より一部抜粋)
厚生省現役時代にも,OBになってからも,あなたはどうして役所での通常の仕事の他に,ハンセン病を一生の仕事としたのか,どうして精神障害や難病の社会的問題に立ち向かっていったのか,という質問を受けました.私の答えは,『ひかりの足跡』に書いてある青年時代の肺結核による挫折であり,小笠原登先生,曽田長宗先生,若月俊一先生や岡田靖雄先生などにお会いできて直接啓発を受けたことでした.具体的にはその通りなのですが.その根本で私に人間として社会における正義から後退することを許さず,緊張の社会主義の中におらしめるよう常に強要し続けたそれは,「消えた山」事件の遺言であります.しかしながら,このことについては,今までだれにも話してこなかった.なぜ話さなかったのか.話せなかったのです.
祖母も父も死ぬまで口をつぐみました.父が遺言の中で申しましたように裁判で決着し,集落の人々と和解した以上,C集落で今までどおり仲良く住めることが第一であり,無用の発言は控えてきたというものです.私も村の小学校に6年通い,そんなことがあったと知らないまま,みんなと仲良く暮らしてきたのでした.今さら,この事件を書くのは如何,と思いましたが,ハンセン病,精神障害者の人々が受けている現実の苦しみや悲しみを思いますと,偏見差別は誰にでも誤解無知によって起こるものだということを言う必要がある.わが家の村八分事件を秘密にしておくのは正義に反すると考えました.もちろん個人的な恨みなどは毛頭ありません.
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