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はじめに
障がい者の生存にとって最大の危機は,戦争と貧困である.戦争は多くの障がい者を作り,障がい者の生命・身体の危険を招く.貧困は日々の生活を危うくし,人間性まで貧しくする.明治以降,日本は戦争に次ぐ戦争の歴史であった.また1929年の恐慌以来,貧困からの脱却の方法として,日本は対外侵略を取り続けた.その意味で,戦前の日本は戦争と貧困は一体であった.これらの反省の上に立って,日本国憲法は「ひとしく恐怖と欠乏から免れ,平和のうちに生存する権利」(前文)と,憲法25条で「健康で文化的な」「最低限度の生活を営む権利」をそれぞれ国民に保障した.それゆえ,日本国民,とりわけ障がい者にとっては,平和的生存権と「健康で文化的な」「最低限度の生活保障」の生存権は,人間らしく生きるための車の両輪である.この点で言えば,原爆症認定訴訟と中国からの残留孤児の裁判で,国の憲法を遵守する姿勢が厳しく問われている.
また,今日を生きる障がい者にとっては「その障害の原因,特質及び程度にかかわらず,同年齢の市民と同等の基本的権利」(障害者の権利宣言)を国や自治体,そして地域社会でどうやって保障されながら生活するかという問題がある.この問題は従来の障がい者施策が隔離や施設中心で立案され,どこで,どのように住んでいくかという,障がい者本人の自己決定権や幸福追求権を軽視していたことと関係がある.
ところで,日本の障がい者法制は戦後,障がい者団体などの運動の結果,少しずつ整備されてきているものの,そのテンポが遅く,内容も不十分である.そのため,高田馬場の駅から転落して死亡した全盲の上野さんの遺族が点字ブロックの設置を国鉄に対して求めて裁判を起こしたり,全盲の堀木さんらが所得保障を求めて神戸地裁へ裁判をしたり,透析患者の川野さんが障がい者の雇用の確立を求めて長野地裁へ裁判を提起するなどして,少しずつ法律や政策が改善されてきたのがこれまでの実状である.さらに,日本の障がい者が置かれた実状が今日でもいかに深刻かは,ある事件の原告が厚生労働省交渉の中で,自分は毎日生きていくのが闘いであると述べたところ,厚生労働省の役人は「闘いとは大袈裟な」と笑った.その原告は車椅子で街に外出したり,収入が少ない中で新幹線に乗って厚生労働省へ出向いてきたり,日々食事をとるにも多くの困難な問題を抱えていることを指摘したところ,厚生労働省の役人は沈黙せざるを得なかった.
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