書論
—『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』を読んで—わたしの記憶も掘り起こされていった
長嶺 真智子
1
1一般財団法人精神医学研究所附属 東京武蔵野病院
pp.52-59
発行日 2025年1月15日
Published Date 2025/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.134327610280010052
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1|分岐点は小学校
ひとの記憶は不思議なものだなと、つくづく思います。
たぐりよせることのできる記憶もありますし、何度遡っても思い出せない記憶もあります。一方、忘れたいのにどうしても忘れられない(忘れさせてくれない)記憶もあります。そういう類の記憶は、意図的に引っ張り出してくるときもあれば、直前の出来事が鍵の役目となり思いがけず記憶の蓋が開けられることもあります。あらゆる記憶がそれぞれに、必要な役割をもって存在しているのだろうと思います。
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