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Ⅰ はじめに
“It’s dying. It’s dying, Mia. It’s dying on the vine”.これはエンターテインメントの街ロサンゼルス(LA)を舞台とした映画“LA LA LAND”(2017年)で,ライアン・ゴズリングが演じるジャズピアニストのセバスチャンが,エマ・ストーン演じる女優の卵であるミアに向かって言った台詞である。この台詞で彼は,ジャズという音楽が置かれた昨今の状況を端的に説明しており,このミュージカル映画のストーリーラインのピボットとしてそれは機能する。筆者は撮影された時期にLAで暮らしていたため,当時のあの街の空気感がそのまま詰まったかのようなこの映画にはそれなりの思い入れがあるが,なかんずくこの台詞はしっかりと頭に残っている。
筆者の父は田舎育ちの団塊世代であるにもかかわらず,中学に上がる頃には夜中にラジオで一所懸命ジャズを聞いていたらしい。子どもの頃時折そうした音楽を聞かされていた影響か,平均的な同世代の日本人よりはジャズという音楽に関心を持っているであろう筆者は,LAで名門とされるジャズクラブのいくつかを家人とともに訪れたことがある。Catalina Jazz Clubで伝説的スタジオドラマーのスティーブ・ガッドとツーショットで写真を撮ってもらったのは,筆者の数少ない自慢の一つだ。そうしたクラブはまさにジャズを楽しむための場所であり,この音楽はこういう音で聴かせたいという意思を持っているかのような空気感さえ感じられた。あの空間に蓄積している歴史の重みのようなものを実感した筆者は,ジャズがあの街で形を少しずつ変えることはあっても,「死んで」しまうことはないと確信している。
閑話休題,覚醒剤使用症の話である。臨床場面かプライベートかを問わず,使用が続いているアクティブな覚醒剤ユーザーに会った経験のある読者はどれくらいいるだろうか。厚生労働省の発表(「第六次薬物乱用防止五か年戦略」フォローアッフ゜,https://www.mhlw.go.jp/content/ 11126000/001279247.pdf)によれば,令和5年の覚醒剤事犯の検挙人員数は6,073人と10年前の11,127人と比較してほぼ半減しており,覚醒剤ユーザーはかなり減っていることが窺える。医療機関においても状況は似ており,国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部が隔年で実施している「全国の精神科医療施設における薬物関連精神疾患の実態調査」(松本他,2023)の報告書を紐解くと,有床の精神科医療機関を受診した患者の主な対象物質の割合は,危険ドラッグが隆盛を誇っていた2014年を除けば長年覚醒剤が最多だったものの,2022年は最近一年以内に使用のあった症例の対象物質として最も多かったのは睡眠薬・抗不安薬(28.2%)だった。睡眠薬・抗不安薬と市販薬(20.0%)を合わせると約半数にも上り,物質を対象とするアディクションは非犯罪化が著しく,以前よりも身近な健康問題に変容したとも言えるだろう。さらには物質使用症の治療に携わるわれわれの関心も処方薬や市販薬の問題にシフトしてしまっているようで,2024年度アルコール・薬物依存関連学会合同学術総会のプログラムをひろげてみると,覚醒剤がテーマと思われる発表はシンポジウム,口頭,ポスターすべて合わせても5件(うち3件はタイトルに「覚醒剤」が含まれる)だったのに対し,処方薬や市販薬は同じカウントの仕方で13件(うち9件がタイトルに処方薬や市販薬を示す言葉を含む)と演題数は約3倍である(筆者調べ)。

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