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Ⅰ デイケアの「先生」
デイケアの「先生」について考えた時まず浮かんだことは,デイケアで心理士は「先生なのか?」という問いだった。私が入職する前から通所しているメンバーは私よりもデイケアに詳しく,園芸,卓球,料理,麻雀……いろいろなことを彼らに教えてもらった。彼らからすると私は妹や後輩のような存在だったかもしれない。またメンバーと一緒にプログラムの準備をしたり,イベントを計画したりしていると,私自身も彼らを仲間のように感じたことがあった。そのような活動の中で彼らが私を「先生」と感じることはほとんどなかっただろうし,実際彼らに「先生」と呼ばれたことはない。
ただし通所し始めたばかりのメンバーには何度か「先生」と呼ばれたことがある。その時私は何とも居心地が悪くなり,「先生じゃないですよ」とすぐ否定した。私が勤務したデイケアではスタッフがメンバーに一方的に何かを与えるのではなく,双方で共同するものという「治療共同体」の考えが根付いていたし,私もその考えに同調していた。スタッフとメンバーは対等なのだと私は考えていた。だから「先生にならない方がよい」と思っていた。
しかし今思い返すと,通所し始めたばかりのメンバーがスタッフである私を「先生」と呼ぶには意味があった。現実社会で適応に失敗し引きこもり,そこから一歩踏み出してデイケアへ参加しはじめたメンバーにとって,私たちは「助け導いてくれる人」(またはそうであってほしい人)なのだろう。「先生」という呼称には権威性と共に「助け導いてほしい」という期待が込められているように思える。私が「先生」であることを否定したのは,その期待を全面的に引き受ける自信がなかったという側面もあると思う。「先生」になるには自信と覚悟と責任が必要ということである。
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