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I はじめに――「普通の人」とマインドフルネス
私が初めてマインドフルネスを体験したのは2021年のことである。当時,精神医療に携わる者の一般教養としてマインドフルネスという言葉は知っていたものの,その良し悪しを判断できるほどの理解はなかった。縁あって現所属に入職し,十分な理解がないまま,マインドフルネス認知療法(Mindfulness Based Cognitive Therapy : MBCT)の効果検証研究に,被験者として参加したことが最初の出会いであった。
当時の記憶はおぼろげではあるが,「マインドフルネスを体現すれば,僕のような人間でも心穏やかで,清く正しい,真っ当な人間になれるのかもしれない」と感じたことは覚えている。以来,スーパーヴィジョンを受けながら,研究や産業保健の場でMBCTプログラムの提供に携わってきた。振り返れば,マインドフルネスを学び,それを維持するという点において,これ以上なく恵まれた環境で数年を過ごしてきたと言える。
それでは,私は真っ当な人間になったかというと,必ずしもそうではない。不道徳な心はそのままに,感情に飲まれて選択の自由を失うことは今なお日常的に起きている。正直に言えば,私はマインドフルネスの不真面目な実践者だ。毎日瞑想をするわけではなく,多くの時間を流されるように過ごし,たまに思い出したように瞑想をする程度である。
もっと真面目に取り組んでいれば違ったのかもしれない。しかし,マインドフルネスを学び,それを良いものだと感じながらも,日常生活のなかで瞑想を習慣化できずにいる。それが「普通の人」の現実ではないだろうか。では,そのような「普通の人」にとって,マインドフルネスは何ももたらさないのだろうか。「普通の人」は,もちろんマインドフルネスを体現しているとは言えない。それでも,マインドフルネスはその人のなかに,何かしらの変化を残しているようにも思われる。本稿では,マインドフルネスを学んだ「普通の人」としての自身の感覚を出発点とし,働く人々にとってマインドフルネスがどのような形で役立ちうるのかを,研究知見と職域での実践を踏まえて検討する。

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