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I 本来の自分になる濃い時間
私だけのことではないと思うが,クライエント(Cl)から「自分のことを考えられるのはこのカウンセリングの時間だけです」とか「ここでは誰にも遠慮することなく,自由に話せます」などと言われることがある。こういう言葉を聴くと,心理療法とはClが「自分自身になっていく」「本来の自分になる」こと,というRogersの考えを改めて思い出す。パーソン・センタード・セラピー(PCT)とは頷いたり言葉を繰り返したりという応答をする学派というイメージが業界に蔓延しているが,PCTとはそんな応答の学派ではない。
セラピスト(Th)に向かってClは解決したい問題や体験を話す。頭の中なら一瞬で思い浮かべられることでも,人を相手にすると体験の一つひとつの要素を言葉にしなければ伝わらない。それをThが理解しようとする。Th自身のアセスメントや解釈が入り込みやすいが,PCTではそれをできるだけ脇において,Clが内面でそのことをどう感じているかを捉えようとする。「あなたの言っていること,感じていることはこういうことですか?」とThに生じた理解を伝える。そうやって両者の理解の一致度を確かめ,高めるのだが,それは言語上のやり取りに過ぎない。Thの芯にあるのはClのの感じに近づこうとする内的な苦闘である。そのようなThのあり方に並行して,Clの中では本来の自分の感触(sense of grip : 中田,2022)を摑もうとするプロセスが生起する。このプロセスがClにとって自分自身になる時間である。Thは,Clが語る体験の一つひとつの感じを摑もうとすると,Clの今ここの,あるいは瞬間瞬間の感じだけでなく,過去から未来に向けたClの感じの流れ(Gendlinがback-ground feelingと呼んだのもこれであろう)にも注意が向かざるを得なくなる。「お聞きしていると,以前仰ったあの事から今に至るまで,薄い皮一枚くらいだけど同じ感覚がずうっと繋がっているのかな,と感じたのですが」などと尋ねることになる。Clの人生を流れる感じが少しでも伝わってきて,その感じの理解をClと確認できると,Clその人に触れ,その人生を共有している感じになる。
しかし悲しいことに,いくらThが努力してもClの感じていることを100%そのまま理解できることはない。また,スイスイと進むものでもない。理解したと思った中にさまざまな誤解が見つかって,ツギハギを当てるように修正し合う作業の繰り返しである。というのもClとThは紛れもない他者だからである。その現実を認識しているからこそ,自分の心身の感受の器をすり切れるほど使って共感的な理解を積み上げようと地道に努力するのがPCTのThである。Clの方では自分の体験を言葉にする体験過程が次第に高まり,選んだ言葉の身体感覚との共鳴具合を通じて次第に表現が精緻なものになる。ThもClも何というスローモーション! しかし,このスローモーションの作業でこそClは自分自身になる。一つひとつのやり取りが密度の濃い時間である。

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