FORUM 戦後の国際保健を彩った人々・Vol.3
島尾忠男
-――結核の系譜
山本 太郎
1
1長崎大学熱帯医学研究所国際保健学分野
pp.473-475
発行日 2023年11月11日
Published Date 2023/11/11
DOI https://doi.org/10.32118/ayu28706473
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12年前の2011年,東日本大震災から半年あまりすぎた頃,島尾忠男先生に拙著『感染症と文明』(岩波新書)を送らせていただいたことがある.感想では「面白いね.こうして歴史を縦や横,あるいは斜めにして,さまざまなことを考えていく.今の時代,こうした視点が重要なんだよ」と過分な言葉をいただいた.そしてお返しにと『結核と歩んで五十年』という自身の著書が送られてきた.その本を読んで話を聞きたくなりご自宅を訪れたことがある.1953年,たまたま家にあった電話加入権と,交換手を介することなくかけることができる自動式の電話を売り払って,借りた土地に建てられた自宅である.著書によれば,自動式の電話には20万円の高値がつき,借りた練馬の土地は60坪だったとある.当時は電話の需要が高く,総務省発行の通信白書によれば,日本の電話加入者数は1944年3月末に108万に達したが,本土空襲などによって終戦時には47万に激減した後,島尾が電話を売り払った年の前年にあたる1952年の電電公社発足時には140万であったという.島尾の電話はそうした電話の一台だった.ちなみに,1952年の新規申し込みが23万件であったのに対し,敷設数は18万件にとどまり,申し込んでも設置されない電話の数は40万個にも上ったという.そういった時代の話である.そうした時代に島尾は結核予防会に復職し,結核研究所で勤務をはじめた.
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