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はじめに
衝動的で落ち着きがなく,学校での授業に集中できない,不注意でボーっとしており,よびかけられても気がつかないなどといった子供たちは,注意欠如多動性障害(attention-deficit hyperactivity disorder:ADHD)として,対応策が医療や教育現場で講じられ,診断から治療,社会的対応のネットワークが構築されつつある1)。1798年スコットランドのCrichton Aが,ADHDに類似した症状に関して初めての記載をしている2)。その後,1844年ドイツの医師Hoffmann Hが,子供向けの絵本「もじゃもじゃペーター」3)でADHDの特徴をわかりやすく表し,今でもフランクフルトのマスコットとして親しまれている。1902年にStill GFがLancetに攻撃的な43小児例を「制御と広範囲の秩序破壊的行動」を示し,「個人の素質に原因があると考えられる児童期精神疾患」として報告している4)。1944年,スイスのチバ社(Ciba Pharmaceutical Company, 現ノバルティス社)によってメチルフェニデートが合成され,1954年に特許を取得し,ドイツで発売された。当初米国では,うつ病,慢性疲労,ナルコレプシーなどの治療薬として定められていたが,1960年代初頭に,当時,多動症や微細脳機能障害(minimal brain dysfunction:MBD)として知られていたADHDの子供に対して使用され始めた。1947年「多動,不器用,行動や学習の障害」によって特徴づけられる子供の脳障害を,神経学的立場から脳損傷児と称した。のちに「微細脳損傷(minimal brain damage)」などの表現になったが,症候学のみに基づいて脳損傷を推定することは誤りであると徐々に使われなくなった。米国精神医学会の精神疾患の診断・統計マニュアルであるDSM-Ⅱに小児期の多動性障害が記され,1980年DSM-Ⅲからは多動ではなく「注意欠陥」が病態であるとの考えが強くなり,1987年DSM-Ⅲ-Rより注意欠陥障害に多動が併存する場合とない場合の「AD/HD」が登場し,以後,DSM-Ⅳ,ICD-10,DSM-5,ICD-11とこれが整理され発展した。
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