- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
レポートの書式は千差万別だ。その差異は個人個人の間よりも,施設間で目立つ傾向がある。おそらく病院ごとに伝承される暗黙のルールが存在するのだろう。例えば3行以上は書かないような施設もあれば,1頁がまるまる埋まってしまう施設も存在する。Fig.1に当院でのレポート見本を挙げる。このような差異は,いわば〈文化〉のようなものだ。それでは外国においては,その〈文化〉どうなっているのだろう? 少し古いものにはなるが,筆者が北米に留学していたころのレポートを2つ提示する(Fig.2)。筆者が在席した施設のなかで地理的に最も離れた2カ所を選んでみた。1つはボルチモア(米国)で,もう1つはトロント(カナダ)だ。国境で隔てられた2つの都市は直線距離にして550km離れており,飛行機では1時間強の距離になる。イメージとしては東京と青森,あるいは福岡とソウルの距離感がこれに近い。さて見ていただいてどうだろう? 実は両者は構造的にほぼ同じなのだ。使われるフレーズに至っても,ほぼ同一といっても過言ではない。文末の執筆者名をみなければ,どちらの施設で書かれたものかは判別不可能なのだ。では北米にレポート記載に関する厳格なガイドラインでも存在するのだろうか? 少なくとも筆者が滞在中に,そのようなモノを目にしたことは一度もない。実は,これほどまでにレポートに統一感があるのには隠れた理由がある。それは北米の医師がプロモーションのたびに施設を転々とすることを社会習慣としてきたからなのだ。このように人材が移動するシステムは,西洋の近代自然科学を育んできた仕掛けの根幹をなしている。この制度によりアカデミアにおける自由な競争が担保されてきたわけだ。人が動けば〈文化〉も一緒に動く。その過程で淘汰が生じ,よいものだけが残る,という仕組みだ。逆の角度からみるとわが国でみられる施設間格差は人材の固定化に起因するものだと考察可能だ。ローカルルールが焦げ付いて,そのまま定着したというわけだ。
Copyright © 2021, MEDICAL VIEW CO., LTD. All rights reserved.