特集 教務主任—その人と仕事[第一部]
体験レポート・3 私たちの力で私たちの考える看護教育を
池野 栄子
1
1諏訪赤十字看護専門学校
pp.552-562
発行日 1980年9月25日
Published Date 1980/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907476
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何もわからぬままに
私が看護学生の教育に取り組み始めたのは,昭和45年4月,小児病棟における臨床指導教師という立場を与えられた時からであった.以後49年4月に学校への勤務交代となり,1年間専任教師を経験した後,昭和50年4月より教務部長の任についた.
臨床指導教師をしていたとはいえ,それは1病棟で5-6名ずつ,限られた期間に実習にくる学生を相手であり,学校の1年間の流れやら,そこで展開されている様々な事柄の詳細は知る由もなかった.知る必要もあまり感じないまま,自分に与えられたパートでの動きであった.従って教務部長になったとはいえ,右を向いても左を向いても知らぬことばかり.提出した公的書類の不備な点や不明な点について問い合わせの電話がきても,全体が分からぬまま受けているため即答はできず,相手の話している内容のほとんどをメモして,そのメモと書類の控えとをにらみ合わせ,考え返事をしたものであった.
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