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はじめに:医療の高度化と整形外科領域のリスク
医学・医療の高度化・細分化に伴い,多くの医療行為は多職種による複雑な業務工程を経由し,かつ迅速に提供されるようになった.その結果,人間や集団の不確実性がもたらすエラーや,脆弱な業務管理体制に起因する有害事象や医療事故が顕在化し,これらの制御が重要な課題として認識されるようになった1).
わが国における近年の整形外科診療の発展は目覚ましく,プライマリからターミナル,小児から超高齢者,急性期から慢性期リハビリテーション,また大規模医療機関から在宅・介護施設まで,その範囲はシームレスで幅広いものとなっている.また,ナビゲーション支援手術や拡張現実/仮想現実(AR/VR)支援,ロボット手術,遺伝子治療といった新規医療技術の開発や,精巧なデバイス・効果の高い医薬品の導入,小規模医療機関でのハイリスク医療の提供など,さらなる高度化と挑戦の渦中にある.
一方,1999年に都立広尾病院で整形外科入院中の患者に発生した「術後消毒薬誤注入死亡事故」,2004年に京都大学医学部附属病院で関節リウマチ患者に発生した「リウマトレックス過量投与死亡事故」,2008年に伊賀市の谷本整形外科で発生した「点滴作り置きセラチア感染死亡事故」など,わが国の患者安全の黎明および,その後約20年の展開において,整形外科診療を舞台とした医療事故が与えた影響は計り知れない.また,患者の高齢化がすすむ中,外来患者や入院患者の転倒・転落事故による外傷,生活の質(QOL)の低下,医療費の増大などは大きな社会問題となっている.2015年10月~2022年12月の約7年間において,日本医療事故調査・支援センターに報告された医療事故死亡2,548件のうち,整形外科事例は212件であり,外科390件,内科326件,循環器内科215件,消化器科213件に次ぎ,全40診療科の中で第5位となっている.このうち特に200床以下の小規模医療機関群からの報告率が高値(2022年は60.8%)であることも整形外科領域の特徴の一つとなっている2).
また,諸外国においても整形外科診療は患者安全に大きな影響を及ぼしてきた.たとえば1990年代以降,多くの国と地域で盛んに報告された左右・部位(椎骨高位)誤認手術,患肢・患足の取り違え手術などは,術前のマーキングの重要性や,そのタイミング・位置・形状の標準化などの必要性を全世界の医療現場に知らしめるとともに,世界保健機関(WHO)患者安全チェックリストの開発,処置前後におけるチームでの確認行為(サインイン・タイムアウト・サインアウト)の導入など,侵襲的医療行為全般における安全確保の底上げへとつなげられた.国際的な医療機関の認定機構であるJoint Commission International(JCI)は2024年1月現在,6項からなる国際患者安全目標(international patient safety goals:IPSG)を定めており,その中に,「手術・侵襲的処置の安全確保(IPSG. 3)」と「転倒・転落リスクによる患者の障害リスクの低減(IPSG. 6)」を掲げるにいたっている3).また,WHOは,2021年に刊行した「世界患者安全行動計画2021-2030」4)の中で,戦略目標3:「あらゆる診療プロセスの安全性を保障する」の第6指標として,「入院中の患者の転倒に起因する回避可能な死亡の発生率と減少量の測定」を掲げている.
これらの歴史や現状からあらためて認識されることは,整形外科領域の安全確保には全人的かつ切れ目のない患者支援と医療チーム内や施設間・地域内における正確なコミュニケーションなどのノンテクニカルな対策が求められること,それらは決して平易なものではなく,高度な専門性と多職種による管理工程・患者を巻き込んだモニタリング,平素からのチームスキルトレーニングなどが必要となること,そしていったんエラーが発生した場合の患者被害は甚大なものとなりうることなどである.本稿では,ハイリスクな整形外科診療を支える,患者安全実務の全体像を紹介する.
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