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かつて日本はアカデミア創薬先進国であった.第2次世界大戦後の数年の間に,日本ペニシリン学術協議会(現在の日本抗生物質学術協議会)を中心とした産官学の共同研究によって我が国は驚くべき速度で欧米の創薬研究の最先端に追いついた.1948年には米国,英国に続く世界で3番目のペニシリン工業生産国になり,1950年代には世界トップの抗生物質大国になったのである.国立予防衛生研究所初代抗生物質部長であり,東京大学応用微生物研究所教授でもあった梅澤濱夫が発見したカナマイシンはストレプトマイシン耐性の結核菌に有効な抗生物質医薬品となり,また,北里大学教授だった秦 藤樹が発見したマイトマイシンは,協和発酵によりマイトマイシンCとして初の抗がん抗生物質として実用化された.当時,アカデミアでは抗生物質探索を中心として天然生理活性物質のスクリーニング研究が盛んに行われ,創薬におけるアカデミアの役割は重要な位置を占めていた.そして100以上もの日本発の抗生物質が実用化され,じつに41種類もの国産抗生物質が海外導出されたのである .しかし,天然から単離される新規化合物が次第に減少するのに伴い,創薬スクリーニングの主体は天然物からコンビケムを中心とした化合物ライブラリーを用いたハイスループットスクリーニング(high throughput screening;HTS)へと移り,それに伴ってアカデミアと創薬研究との距離は遠のいてしまった.天然から発見・単離した化合物そのものが医薬品となる可能性がある天然物創薬に比べ,化合物ライブラリーからの創薬は,創薬化学を含む多大なリソースを必要とするHit toLead研究とリード最適化が必須であり,アカデミアにはきわめてハードルが高い.また,分子生物学を駆使した研究の隆盛と遺伝子工学を基盤としたバイオインダストリーの発展がアカデミアにおける探索的研究そのものを縮小させてしまった面もある.
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